第5章 心が寛大な人の中で育った子はがまん強くなりますー②

Wishing you a Happy Father’s Day!

父の背中が懐かしくなると、開くページがあります。
眠っていた記憶を呼び覚ましてくれるのです。

力の源は何時も親

 1982年クオモという人物がニューヨーク州知事選に立候補したときの話です。対立候補は圧倒的な資金力を持っていました。クオモはきっと負けると何度か思ったということです。そんな運動期間も残り少なくなったある夜のことです。クオモは気落ちしたまま日記をつけようとしていました。鉛筆を捜して机の中を捜すと、父親の古い名刺が出てきたのです。
「その名刺を見ているうちに父親の思い出が蘇ってきた。父親はアメリカに渡ってきたときには英語を話せず、やっとの思いで下水溝を掘る仕事についた。最後に小さな24時間営業の食料雑貨店を手に入れ、移民の一家はそこの裏で長年暮らした。」父親の名刺をじっと見つめた後クオモは日記に次のように書いています。少し長いのですが引用してみましょう。
「私がこう言えば、パパは何と言っただろうかと思わずにはいられない。『疲れたよ』あるいはー万が一にもー『もう気力がないよ』と言ったら。
 とりわけある場面のことがはっきりと蘇る。私たちの家族は店の裏からホリスウッドに引っ越したばかりだった。はじめて自分たちの家を持ったのである。周囲にはいくらかの土地もあり、立木まであった。そのうちの一本は大きなブンゲツトウヒの木で、四十フィートはあっただろう。
 越してきてから一週間足らずの頃、ひどい嵐があった。その晩私たちが店から帰ってくると、そのトウヒの木がほぼ完全に地面から抜けて前に倒れていた。その強い枝が道のアスファルトの上で折れ曲がっている。私たちのトウヒの木が嵐に敗れ、まるでマットに頬をうずめているさまを見ると、みんなの心は沈んだ。しかしパパはちがった。
 父はたぶん、靴のかかとがすりへっていなければ五フィート六インチ程度、たっぷり食事していれば百五十五ポンド程度の小男だった。しかし、フランキーと私とマリーとママを全部合わせたよりも力持ちだった。
 私達は通りの真中に倒れた木を見下ろした。雨が降っていた。二、三分考えをまとめたあと、パパが言った、『よし、こいつを引き起こすぞ!』「何言ってんの、パパ?根っこが地面に出ちゃっているんだよ』『うるさい、ひきおこすんだ。ちゃんとまた根づくさ』
 その言葉にどう答えていいかわからなかった。パパにはノーと言えなかった。父親だからというより、パパがひどく断固としていたからだ。
 そこで私達はパパについて家に戻り、あるだけのロープをさがしたあと、アスファルトに倒れたトウヒの木のてっぺんにロープを結び付けた。パパと私が家のそばからロープをひっぱり、フランキーが雨の降る通りで木を押し上げた。するとまたたく間にトウヒの木は再びまっすぐに立ったのである!
 雨がまだ降りつづくなかで、パパは根っこの下の土を掘り、穴がだんだんひろがるにつれて、木はすこしづつ沈んで安定していった。それからみんなで根っこに土をかぶせ、上に石をのせて動くのをふせいだ。パパは地面にくいを打ち込み、幹からロープを張った。二時間ぐらい過ぎていただろうか。曲がった枝をロープで伸ばし、まっすぐに立ったトウヒの木を眺めて、パパは言った。『心配するな、またちゃんと育つさ』
 ひきだしから見つけたパパの名刺を見つめながら、私は声を上げて泣きたかった。いまあの家の横を通ると、高いまっすぐのプンゲツトウヒの木が見えるはずだ。六十五フィートはあるだろう。アスファルトに鼻をつけたことなど一度もないような顔をして、そいつは天に向かってすっくと立っている。
 私はパパの名刺を引き出しに戻し、なにくそと力をこめて閉じた。選挙運動に戻るのが待ちきれなかった。」
 クオモはその後、州選挙知事選に勝利しました。
 子供というのはおそらく親の直接の説教よりも、親の生き方から学ぶのです。私は臆病な青年でした。しかし何度父親から「忍耐、豪胆」と教えられたかわかりません。
 子供は親から「我慢強くなければいけない」と教えられて我慢強くなるわけではないのです。マックギニスはこのクオモの日記の後で、このクオモの頑張りの源は移民の父親であったと書いています。
               「アメリカインディアンの教え」(加藤諦三著・扶桑社)

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