第4章 ねたみを受けて育った子はいつも悪いことをしているような気持になりますー③

If a child lives with shame,
He learns to feel guilty.

にせの罪悪感

 フィットテイカー(注4)が「にせの罪悪感」という言葉を使っています。幼い頃から何か悪いことがあると「おまえのために」と言われ、何かいいことがあっても「苦労したため」にできたことだと親から言われて育てられた人が抱く感情です。こんな人は、大人になっても、ただ会っただけですでにその相手に心理的な借りをつくってしまいます。
 他人と一緒になることで、幼い頃に心の底にすりこまれた親の恩着せがましい声や表情が再現されはじめるのです。このようにして味わうのがにせの罪悪感です。
 困ったことに、こういう人は本当の罪にはかえって鈍感です。そのくせ正当なことを主張することに罪悪感をおぼえてしまうのです。他人の不当な要求にノーと言えないのです。これもまた、幼い頃の経験が生んだ悲劇でしょう。

他人の不幸を望む理由
『幸せをつかむ脳の使い方』 (中野信子著・ベストセラーズ)

 ところで、他人の不幸を望む動機とは、なんなのでしょうか。それは、あからさまな敵意であったり、陰にこもった妬みであったりします。いずれも強い感情です。ことに妬みは、無意識の部分で相手を侮辱しようとしているのですから、相手のいいところを受け入れるのは簡単ではありません。  ドイツ語には「人を傷つける喜び」という単語があるほどです。「シャーデンフロイデ」といいます。  心の底に敵意をかくしている人は、まず他人の幸福は喜べないでしょう。他人の不幸を心のどこかで、いい気味だ、と思っているでしょう。こういう人は、自分の幸せよりも他人の不幸が重要になってくるのです。
 心が満ち足りている人は、他人の幸福の報せをほっとして聞くのです。「ああ、よかった、あの人たちは幸せなんだ」と胸をなでおろします。ところが、悩んでいる人は、他人のそんな報せを聞いても面白くありません。何か期待はずれのような気持になるのです。
 その違いはどこからでてくるのでしょう。その人の心の底に愛情があるか敵意があるかの違いなのです。
 ちょっと不思議なことなのですが、人は不幸にともなう感情、例えば妬みやひがみなどにしがみつきます。どうしてなのでしょう。やはり心の底に敵意をおさえつけていることがその原因なのです。
 人は心の底の敵意や憎しみを、表には出しづらいものです。それで、妬んだりひがんだりすることで、敵意を秘かに満足させてしまうのです。英語では、これを「受身的攻撃性(passive aggressiveness)」といっています。
 しかも嫉妬している人は、自分が嫉妬していることまでかくそうとします。人は弱いものです。うつ病者を生みだしやすい家の人が嫉妬深い、と言われているのです。当然でしょう。家中に、陰にこもった敵意が渦巻いていては、うつにもなるでしょう。
 強い人、つまり自分で自分を頼れる人ならば、自分の内にある憎しみにも向き合えるし、そんな感情も弱い人に比べれば少ないのです。すると受け身的攻撃にでることもないでしょう。
 ですが、ストレートに攻撃的になれない弱い人も世の中には多いのです。そうなれないぶん憎しみはどうしても強くなってしまいます。これが嫉妬となります。
 例えば「あいつは自分の人生をダメにしようとしている」などという憎しみを吐き出せずにおさえつけていると、それが嫉妬となって、自分を攻撃する心配のない他人に向けて発散されます。本来向けるべきところに攻撃を向けることなく、いわれのない敵意を浴びる犠牲者がでるのです。
 親にとっての「自分を攻撃する心配のない他人」が、子供です。こうして親の嫉妬が、正義とか教養とか愛情とか、社会的に奨励される価値の仮面をかぶって子供に向けられるのです。

注4)女性心理学者。『あなたが私をどう考えるか、私の知ったことではない』を1979年にアメリカで出版。まだ日本には訳されていない。

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